新型コロナウイルスが流行っているさなか社員研修に合掌造りの集落を見てきました
コロナウイルスが流行っている為か海外からの観光客は少なかった様でした
合掌造りと言ったら白川郷が思いうかぶのですが調べてみると
岐阜県には多くの合掌造りの建物が保存されているのですね
その中で今回は富山県の南西端にあるにある相倉集落と菅沼集落と岐阜県にある白川郷
この3個所の集落を視察してきました
建築をしているとよく聞く言葉ですが改めて調べてみるとこう書いてありました
日本の住宅建築様式の一つであり急こう配の屋根をしている
屋根の角度は45度から60度の急勾配であり小屋内を有効利用するために
叉首(さす)構造(逆V時型にして横架材を支える構造)とした茅葺の家屋
豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したもので
屋根を急勾配した方事により2層~3層の空間を確保することができ
カイコ(蚕)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る養蚕業にも都合が良い
合掌造りには切妻屋根のものと入母屋屋根のものがある
切り妻屋根の方が屋根裏スペースが多くとれると言う特徴もあるそうです
ウィキペディアより抜粋
最初にこの集落を見ました
豪雪地帯と言う事でしたが暖冬で今年は雪は少ないと言う事でしたが
数日前から雪が降ったようで30~40cmは積もっていました
多いときなら2~3mの豪雪地帯らしいですが・・・?
松山では雪が降ることすら珍しく増してや積もることなど数年に数センチなので
雪のともっている世界はとても美しく感じました(^^♪
この相倉集落は20棟ほどの合掌造りが残っているようですが空き家になっているところもあるようです
家屋は江戸時代末期から明治時代末期に建てられたものとの事で家屋の出入り口も妻入が多いそうです
朝倉集落は妻入
白川郷は平入が多いようです
伝統産業館には当時の産業であった塩硝、養蚕、和紙づくりの道具が展示されていて
和紙で出来たさぶとんとはんてんがこんなにも丈夫なものなのかと驚きました
民俗館では民具などが展示してありました
係りのおばあちゃんが〝あんたら良い時期に来たね”と気さくに声をかけてくれました
帰る時におばあちゃんが外に出て見送ってくれましたがその時に持つていたカメラが
なんと『写ルンです』をもっていたのがなんともいい感じでした(^^♪
9棟の合掌造り家屋が残る小さな集落で駐車場からはなんとエレベーターに乗って降りたところにある集落でした
調べると江戸時代末期に建てられたのは2棟で、6棟は明治時代に建てられていて
残り1棟は大正時代末期に当たる1925年(大正14年)に建てられたと書いてありました
一番新しい建物でも95年前なのですね
相倉合掌集落と同じで出入り口は妻入でした
建物の廻りの雪除けが相倉集落ではポリカーボネートの波板が多かったのが
菅沼集落は藁で囲って有ったのが当時と同じだったんだろうなと思いました
全体的に建物の手入れが行き届いているのがよくわかりました
観光地でおなじみの白川郷さすがにここは外国の観光客も多いですね
朝倉集集落と菅沼集落との合掌造りの違いは出入り口が平入になっているのがわかりますね
調べていくと自然とパッシブデザインになっていうることがわかりました
妻面を南北に向けて建っていて理由は
・屋根に満遍なく日が当たるようにし、冬場の融雪と茅葺き屋根の乾燥を促進させるため
・集落は南北に細長い谷にあり、それぞれの方向より強い風が吹くことから
風を受ける面積を少なくするため
・夏場は逆に屋根裏部屋の窓を開放し、南北の風を吹き抜けさせることで
夏蚕が暑さにやられないようにするため
こう書いていましたその土地の気候風土に合わせて建てられているのですね
屋根の葺き替えは30年から40年に一度行われているそうで昔は住民総出で行われていたようですが
原則一日で葺き替えを終わらせて雨に当てないようにしていたそうです
今のように大きなビニールシートなどない時代は大変ですね
駐車場よりこの集落に入る為には〝であい橋”と言う名のつり橋を渡って行くのですが
このつり橋がとても素敵な橋で〝土木学会デザイン賞2003”に選ばれたそうです
前兆07mで宙に浮いている部分の長さは100mでPC鋼材をコンクリートで包み込んで
床版厚は190㎜ととても薄くつくられた橋です
橋自体の存在感をなくして自然に溶け込むように作られたようでとてもシンプルな橋でした
この朝倉・菅沼の五箇山集落と白川郷の集落は有数の豪雪地帯で有った為
周辺との道路整備が遅れて奇跡的にこの合掌造りの建物が残ることになったそうです
住んでる方にとっては良かったのかどうかは解りませんが
世界遺産となって世界中から観光客が来られる以上は残し続けてほしいですね
一度は見てみたいと思っていた合掌造り実際にこの目で見れてとても良かったです(^^♪